アトリオン母の日のコンサートが5月10日に開催されます。 今年は、メンデルスゾーン生誕200年、H.パーセル生誕350年、ハイドン没後200年、ヘンデル没後250年の年にあたります。 今回は、記念年にあたる4人のオルガン作品を中心に取り上げてみました。 メンデルスゾーンは、とても裕福なユダヤ人銀行家の子息として生まれました。 早熟の天才のひとりとして、ことにその秀でた記憶力が逸話として伝えられています。 彼は14歳のとき、祖母からクリスマスプレゼントとして、マタイ受難曲の筆写譜のスコアをもらいました。彼は20歳でこの曲の再演を行います。 勿論、現在のようなバッハの時代の様式で再現するのではなく、当時のロマン派の解釈を盛り込んだものだったそうです。その後、バッハも活躍したライプツィヒでゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者として、また自ら資金を集めライプツィヒ音楽院を開きました。 今年の8月末から9月中旬にかけて、ライプツィヒで開かれる『メンデルスゾーン音楽祭2009』では、一流音楽家のコンサートの他、メンデルスゾーンにちなんだ委嘱作品の初演、シンポジウムなど目白押しとなっているようです。 彼のオルガン曲は、プレリュード、フーガなど、バッハが書いた当時のスタイルを用いています。また、ソナタには、コラール旋律を用い、ユダヤ人でありながら敬虔なキリスト教徒であった一面が現れています。 今回は、小品ながら美しいプレリュードとフーガ ト長調と大バッハのハ長調のプレリュードとフーガを続けて聴いていただきながら、一世紀以上も異なる時代を生きた二人の天才作曲家に思いを馳せていただけたらと思います。 ![]() メンデルスゾーン ヘンリー・パーセルは、ウェストミンスターに生まれ、王室礼拝堂の少年聖歌隊、指揮者、作曲家、ウェストミンスター寺院オルガニストとなり、名声を博しました。彼もメンデルスゾーンと同様に36歳という若さで他界しましたが、イタリアやフランスの影響を受けた独特の作品を残しています。 宗教改革の影響を受けたイギリスでは、オルガンは歌の伴奏として使われるものだったため、大きな楽器は生まれませんでした。ペダルも発達せず、標準的なルネサンス・オルガンと、より小型のポジティフオルガンが合体した、イギリス独特の『ダブル・オルガン』と呼ばれる手鍵盤2段の小型の楽器が作られました。 パーセルのオルガン作品もこのような楽器のために作られたものです。ヴォランタリーは礼拝の前後に演奏される曲として作られましたが、今回はイタリアの影響を感じるト長調の作品をお聴きいただきます。 それから、結婚式などで良く耳にされる通称『パーセルのトランペット・ヴォランタリー』。 この作品は、クラークのチェンバロ作品『デンマーク王子の行進曲』が原曲です。この曲をトランペットとオルガン、太鼓用に編曲したサー・ヘンリー・ウッド氏が、パーセル作曲のトランペット・ヴォランタリーとなっている19世紀のオルガン用編曲版を基にしたため、長い間パーセルの曲とされてきたと考えられています。 ![]() パーセル ド、ド、ミ、ミ、ソ、ソ、ミー という、シンプルな出だしを持つ交響曲(びっくりシンフォニー)で有名な、今年没後250年を迎えたハイドン。この1月のウィーンフィルのニューイヤー・コンサートでも彼の作品を取り上げていました。 ハイドンは、ハンガリーのエステルハージ家に長いこと仕えました。100を超える交響曲に、68曲の弦楽四重奏曲を残したため、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父と呼ばれています。バッハが亡くなる18年も前、まだバロック時代とロココ時代が交錯している頃に生まれ、ロマン派が台頭してくる時代まで生きた作曲家でした。 彼は、オルガン協奏曲を残していますが、ソロのオルガン曲はありません。モーツァルトやベートーベンと同様に、フルート時計のための音楽をだけを残しました。これは、時計にからくり仕掛けを組み込んでパイプを鳴らすオルゴールのようなものです。 パイプの数も少ないので、音域も限定されいます。また、教会のための曲ではないので、弦楽四重奏曲から取り込んだりしています。 そもそも人間が弾くことを前提としていないのですが、オルガンの演奏で再現するしか方法はありません。今回はその中から4曲お聴きいただこうと思います。弦楽四重奏曲『ひばり』や、『時計』シンフォニーからの曲が含まれています。 ところで、清里高原萌木の村博物館『ホール オブ ホールズ』では、実際にモーツァルトのフルート時計のための曲を聴くことができます!もし、清里を訪れることがありましたら思い出してみてください。 ![]() ハイドン 最後はヘンデルです。 彼はバッハと同年1685年にザクセン地方ハレに生まれました。父の期待に応えてハレ大学で法学を学ぶかたわら、ハレの大聖堂のオルガニストを務めていました。その後、ハンブルクへ出てオペラで成功を収め、イタリアへ渡り作曲の腕を磨きます。宮廷楽長としてハノーファーに短期間滞在した後、ロンドンに移り、1727年に帰化しました。 バッハは一生涯ドイツから出ることはありませんでしたが、ヘンデルはコスモポリタンとして生きました。その音楽も、バッハは教会音楽、ヘンデルは劇場用音楽、世俗音楽が中心と、とても対照的です。 そんなヘンデルが残したものは多くのオルガン協奏曲です。ヘンデルは、自身の企画したオラトリオの演奏会の際、その幕間に自身がオルガンを弾いて協奏曲を演奏しました。名人芸的な走句、即興性、演奏することの楽しさが伝わってくるような作品ばかりです。 今回は、この協奏曲をオルガン・ソロ用に編曲したものをお聴きいただきます。 ![]() ヘンデル また、国王がたくさんの従者とともにテムズ川に舟を浮かべ、チェルシーまで食事に行く際に演奏された『水上の音楽』から2曲、オルガンとブラス・アンサンブルでお聴きいただきます。当時、一艘の舟には50人の楽団員が乗って奏楽したそうですから、さぞかし壮観な眺めだったのでしょうね。川辺にはたくさんのギャラリーもいたとか。なんだか、バブリーな風景ですね… オルガン・コンサートには珍しい、皆さんが知っている作曲家の曲が並びました。どうぞ、アトリオンにお越しください! |
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