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zoom RSS 上野のお山は花盛り、ひとだかり、これを横目にアカデミックな午後のひととき

<<   作成日時 : 2015/04/04 13:44   >>

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4月に入り、桜の花もひと段落。

3月29日、東京藝大で行われた日本オルガニスト協会東日本支部主催の研究発表会に参加しました。

発表者は、東京純心女子大の米沢陽子氏と東京藝大の廣江理枝氏。
クーナウの聖書ソナタとバッハのオルガンについて、おふたりのとても丁寧で解り易く明快な発表でした。

発表をうかがいながら、ふと、大澤寅雄さんがFBに書かれていたことを思い出しました。

<(略)演劇でも音楽でもダンスでも美術でも、芸術に対して「何がいいたいのかわかる←→わからない」とか「楽しい←→楽しくない」とか、その体験が「幸せ←→幸せではない」と感じる尺度は、たしかに私にもあるし、当たり前だけど、人それぞれによって、その尺度は違っている。
もし、わかること以外はわからない、楽しめること以外は楽しめない、という自分の尺度が変わることがなければ、自分以外の人の幸せや、幸せではないことを、受け入れられないままになる。わかる人だけがわかればいい、楽しめる人だけが楽しめればいい、幸せになれる人だけが幸せになれればいい。そこにたくさんの分断が生じる。そういう分断は、芸術領域だけではない。「幸せになれる人だけが幸せになれればいい」という分断は、世の中に遍在している。
「わからないけど楽しい」とか「楽しくないけどわかる」と言えることは、分断を乗り越えるための重要な足がかりで、「私の幸せとあなたの幸せは違っているけど、お互い幸せでいるためにはどうすればいいでしょうね」という対話は、そこから始まるような気がする。
芸術が、その狭間で役割を果たせるといいなぁと思う。芸術そのものが、わかる人だけがわかればいい、楽しめる人だけが楽しめればいい、幸せになれる人だけが幸せになれればいい、と手放してしまうのは、分断を促しているだけになりかねないし、勿体ないことだと思う。(略)>


300年も400年も昔の音楽に向き合うことの多いオルガニストには、地道な研究の上に「今」の音を紡ぎだし、時代の分断を繋ぐ役割もあるのだろうなぁと思う。「わからないけど楽しい」「楽しくないけどわかる」 やはり第一歩はここから始まる、のかな?


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