あなたは《水ヲ下サイ》を知っていますか?

8月になりました。まだ梅雨明けをしていない秋田です。

1945年8月6日、人類が始めて経験した原爆が日本に落とされた日がやってきます。

戦争を知らないことに後ろめたさを感じていた『戦争を知らない子供たち』世代の人々も、もう還暦を過ぎ、うしろめたさどころか戦争があったことすらよくわかっていない世代が当たり前になってきた今日この頃。

東京混声合唱団は、今年もまた林光作曲の『原爆小景』を歌います。今年で30回になるのだそうです。

『原爆小景』は、原民喜(はら たみき)氏が書いた詩です。感情におぼれることなく、原爆の広島の情景を綴ったもので、漢字とカタカナを使って書かれています。さいごの『永遠のみどり』だけがひらがなに戻り、私たちはここに救いを見出すことができる気がします。
この詩に作曲家の林光さんが曲を付け、4曲からなる組曲『原爆小景』が誕生しました。


つゆくさ.jpg


私がこの組曲の一曲、『水ヲ下サイ』に出会ったのは、高校の音楽鑑賞授業のときでした。
歌っていたのは、会津農林高校。1970年の第23回全日本合唱コンクールの録音でした。

私の母校も合唱の盛んな高校で、私も伴奏などやっておりましたが、同年代の高校生がこのような曲に挑んでいたことに大きな驚きを覚え、今にいたるまで私の中に鮮烈な音楽体験として記憶に残っています。
(その演奏は、今や合唱界の伝説となっているようです)

そして同時に、私はこの詩を残した原民喜氏にも関心を抱きました。

驚いたことに、彼は被爆する前の数年間、旧制中学時代の私の母校の英語の講師をされていました。1945年、前年に妻をなくした彼は、郷里の広島に戻り被爆します。
さらに、彼が身を投じた中央線の西荻窪と吉祥寺の間。当時、私のピアノの師匠は西荻窪に住んでいらして、その界隈は私の馴染みの場所でした。

そんな彼との奇妙な縁(えにし)を感じ、私は彼の作品を音大の図書館で探し出してはむさぼり読みました。


今年の収穫.jpg
今年はじめての我が家の収穫


ジュネーブ時代、留学仲間に広島出身のクラリネット吹きがいました。何がきっかけかは忘れましたが、彼女のご両親が被爆者手帳を持っているという話題に及んだことがあります。
追体験としての原爆から、現実としての原爆の重さに言葉を失いました。

今年もまた、その日がやってきます。





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この記事へのコメント

亀仙人
2011年04月01日 08:39
コメントに訂正です☆
蛍の墓→火垂の墓でしたー。
おっちょこちょい!

みもざ
2011年04月01日 08:39
この夏、友人家族が広島を訪れています。旅行ですが、その大きな目的は息子さん(小学5年)に原爆ドームや原爆資料館を見せるためだそうです。その子の親御さんももちろん、戦争を実体験としては全く知らない世代ですが、何らかの形で歴史を伝えていかなければならないなあと感じてのことです。私が広島を訪れたのは大学1年のときでした。公園の一角で草笛を吹いている人がいたのが印象的でした。鎮魂の音色だと思いました。私は長崎はまだ行ったことがありません。今度は私も子供とともに広島や長崎を訪れたいと思っています。合唱曲にも被爆者についてのものがあったのですね。聴いてみたいと思いました。

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